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2018年 07月 14日

< 瑞泉寺 >

徳川秀次とその一族をお祀りしている瑞泉寺を訪れました。

慈舟山瑞泉寺は 京都三条大橋のたもとにひっそりと佇むお寺です。
門は木屋町の繁華街通り沿いの、 三条通りから南に下ってすぐの場所にあります。
ビルに囲まれたお寺ですが、 一歩門を入っていただくと、静かな境内が広がっています。
(瑞泉寺さんのHPより抜粋させて頂きました)

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ここは江戸時代のはじめまで、広い鴨川の河原の中州だった場所。

この場所で、今から400年前、悲しい事件が起こりました。
瑞泉寺はそのことを伝えとどめるために建てられたお寺です

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文祿4年(1595年)8月2日の昼下がり、
時の関白豊臣秀次公のご一族の公開処刑が、ここ三条河原でおこなわれました。

秀次公は太閤秀吉公の甥ですが、実子に恵まれなかった秀吉公に請われて養子となり、
二代目関白太政大臣を引き継いで、豊臣家の次世代をまかされた人。
幼少の頃から数々の戦で武功をあげ、
また戦乱の世で散逸した古典の収集にも力を注いだ人でもあります。

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そんな秀次公が悪逆の汚名と、謀反の罪を着せられ、切腹させられました。

その理由には諸説あります。

一つは秀吉公の愛妾淀の君に秀頼が生まれ、
秀次公は実子を盲愛する秀吉公からうとまれた、との説。
また石田三成らの奸計によるものとする説、
また秀吉のすすめる朝鮮征伐に秀次公が異を唱えたからとする説。

そのいずれの要因も絡み合って起こった悲劇だったのかもしれません。

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秀次公は文祿4年7月15日 、秀吉公の命により高野山青厳寺において切腹。
御首のみ京の三条河原に移され、その前に秀次公のご一族が引き出されて、
次々と処刑されていったのです。

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秀次公の御一族すなわち四人の若君と一人の姫君、
そして側室として仕えた若く美しい女性たち34人の合計39人。
三条大橋から多くの人が見守る中、
一人ずつ処刑されては大きく掘られた穴に投げ込まれました。

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その後、遺骸が投げ込まれ埋められた穴の跡に大きな塚が築かれました。
頂上には秀次公の御首を納めた「石びつ」が据えられ、
三条大橋を渡る人々への見せしめとしたのです。
寺伝によれば、この塚の位置に現在の本堂は建てられたとされています
(当時の「石びつ」は現在の境内にあるご一族の墓域に移されて、
石塔の中央部に奉安されています)。

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瑞泉寺はかつてこの地で起こった悲しい出来事や、
高瀬川と共に始まる新しい京の町の誕生の記憶を止めているお寺です。

瑞泉寺に参拝して、歴史の流れに心を馳せてください。

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by tad64 | 2018-07-14 12:27 | 街散策 | Comments(6)
Commented by j-garden-hirasato at 2018-07-15 08:56
真実が何なのか、
はっきりとしたものは伝えられていませんが、
秀吉の行動は理解できません。
秀次だけでなく、
一族すべてとは…。
悲しい歴史の1ページですね。
Commented by kaotti-1 at 2018-07-15 11:30
子供の頃からこの前は何度も通っていたはずなのですが、お寺は知らなかったです。
秀次・・・と聞いてもしや近江八幡?と思い出しました。
若くして近江八幡城の城主となられた方でしたよね。
その時代では今では無情と思えることも致し方なく行われる事も少なくなかったのかも知れませんね。
それでもやっぱり悲しく辛い出来事です。
お寺は近くへ行った時立ち寄ってみたいと思います。教えて下さって有難うございます^^
Commented by tad64 at 2018-07-17 12:09
★ j-garden-hirasato さん
本当に悲しい歴史の1ページですね。
こんなことが現実に行われていたなんて、知れば知るほど哀れを感じます。
Commented by tad64 at 2018-07-17 12:16
★ kaottiさん
仰るとおり秀次は若くして近江八幡城の城主となられた方です。
時代だから仕方の無い事だったのか?とも思いますが、やはり恐ろしい事です。
私は今の時代におれて幸せで~す!!
又近くにお越しの折は是非是非お立ち寄り下さい♪
Commented by milletti_naoko at 2018-07-17 18:47
わたしは小学校5年生のときに豊臣秀吉の伝記を買ってもらって読んで以来、天下を取ろうとした3人の中では、秀吉が好きだったのですが、まさかこんな恐ろしいことがあったとは、思いもしませんでした。頼朝が義経討伐を命じたことも思い起こしましたが、かつては養子であり、軍功も多かった秀次本人ばかりか、女性や子供まで、しかも多くの人々が好奇の目で見つめる中での公開処刑だなんて。

緑とたたずまいの美しいお寺の歴史に、そんなおそろしい悲劇があるとは。秦の始皇帝の焚書坑儒や、さらに古い時代の王朝の王の残酷なふるまいは、はるかに遠い過去のことで、あとあとその王朝を覆したものの都合のいいように、あえて残虐だったと誇張されたかとも思うのですが、ここまで時代が今に近く、史実として確実であろう残虐な処刑が、秀吉に行われたと知って、恐ろしいことだと思いました。秀吉自身もですが、歴史上で人間が何度も持ってきて行った狂気やふるまい、そういう可能性のある者が力を持つことの恐ろしさを改めて感じました、
Commented by tad64 at 2018-07-19 10:55
★ milletti_naoko さん
実は私も今回瑞泉寺を訪れて初めてこの様な史実を知りました。
人とは権力を持つようになって如何に人格まで変貌してしまうかを改めて実感させられました。
今の世の中でも世界を見渡すと現実に同じようなことが行われていることを考えるとある意味納得することが出来ますが、そうは言っても日本の歴史上で行われたことは残念でなりません。


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