タッドの気まぐれフォト

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2018年 03月 14日

< 沢田教一展 その視線の先に >

京都・高島屋で今日から始まった「沢田教一展」を早速を観てきました♪
14日~25日まで7階グランドホールで開催されています。

展示の写真を通じて彼の人柄を知ることが出来る又と無いチャンス
是非時間が取れる方はご覧下さる事をお進めいたします。

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沢田教一は1936年青森市生まれ。米軍三沢基地内のカメラ店で撮影の腕を磨き、
61年、米UPI通信社東京支局写真部に入社。65年にベトナムのサイゴン支局に赴任し、
代表作「安全への逃避」を撮影。同年世界報道写真コンテスト第1位に選ばれ、
翌年にはベトナム戦争の報道でピュリツァー賞を受賞する。
70年10月、カンボジア取材中に銃撃されて亡くなった。 (コトバンクより転写)

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中学生のときに初めて自分のカメラを購入して以来、写真に親しんでいた沢田が、
写真家としての道を選択した直接のきっかけは、1954年青森高校卒業後、
米軍三沢基地内の写真店で働きはじめたことである。

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青森市内で営んでいた小島写真機店に勤務。
2か月後には小島の親戚が基地内で経営する店に移ることになるのだが、
そこでアメリカ人将校やその家族の肖像写真を撮影するうちに
本格的に写真にのめりこみ、次第に写真家を志すようになった。

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61年夏、25歳のとき妻サタ(1925― )とともに上京。
その年の12月、偶然出会った三沢時代の米軍将校の紹介でアメリカの二大通信社の一つである
UPI通信の東京支局に入社し、フォトジャーナリストとしてのスタートを切った。

65年2月緊迫した状況の続くベトナムに自費取材を敢行し、
7月にはUPIサイゴン支局特派員に任命され本格的に取材活動を開始。
同年9月南部海岸地域のクイニョン市北方ロクチュン村で撮影された「安全への逃避」は、
この年の報道写真展グランプリ、およびUSカメラ賞、翌年のアメリカ海外記者クラブ賞、
ピュリッツァー賞を受賞し、一躍沢田は国際的に知られる存在となった。

戦火に見舞われた村から避難するために、首まで水に浸かりながら必死で河を渡ろうとする
2組の母子を画面いっぱいにとらえたその写真は、戦争の切迫した惨状を伝えると同時に、
写真家自身の人間そのものへの視線や弱者に対する篤実な心情を伝えるものとなっており、
沢田の戦争写真の特質をあますところなく伝える代表作となっている。



by tad64 | 2018-03-14 19:07 | 3月 | Comments(4)
Commented by voyagers-x at 2018-03-15 10:02
おはようございます ! !
ネットで調べてみましたが
素晴らしいモノクロ写真
当時の色々な事情が心情と一緒に撮れてるような気がします
Commented by tad64 at 2018-03-16 13:07
★voyagersさん
早速ネットで調べられたんですね。素晴らしい写真ばかりでしょう!
戦場の生々しい写真も素晴らしいですが、子供たちの屈託ない笑顔の写真には胸がぐう~っと来ちゃいましたね♪
ほんとに見応えある写真ばかりですから見逃さないように・・・
Commented by marucox0326 at 2018-03-18 20:57
こんばんわ。

一ノ瀬泰造と共に有名な戦場カメラマンということぐらいしか
存じ上げませんが、二人ともカンボジアで亡くなってるんですよね。

河を渡る親子の写真は有名なので見たことがあります。
戦地を切り取った写真のリアリティに勝るものはありませんね。
世界で行われていることを知ることの大切さを教えてくれます。
Commented by tad64 at 2018-03-19 17:13
★ marucoxさん
コメントお寄せ頂きありがとうございます。
今尚世界の各地で何も抵抗できない子供たちが戦火の下で幼い命を落としている現実を考えると、
自分が如何に平和で自由な生活を送れているか、改めて感じさせられるばかりです。


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