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2015年 05月 16日

< 葵 祭 2 > 2015年

葵祭りの沿革を京都市のHPで調べたら。下鴨神社と上賀茂神社の例祭で、5月15日に行われる。
古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。
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この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということである。
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賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。使用される葵はフタバアオイで、毎年両神社から御所に納められている。
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祭の起源と沿革は、今から約1400年前の欽明天皇(在位539~571)の頃に、国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、卜部伊吉若日子を勅使として、4月の中酉の日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったという。
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また、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行うという、国家的行事になった。
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なお、応仁の乱(1467-77)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、1871年(明治4)から1883年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)まで、中断や行列の中止があった。しかし王朝の伝統は忠実に守られてきた。
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祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなるが、現在は路頭の儀と社頭の儀がおこなわれている。
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この祭の見どころは路頭の儀(行列)で、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発する。総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2基、輿1台の風雅な王朝行列が、遠く東山や北山の峰々を眺望しながら下鴨神社へ、さらに上賀茂神社へ向かう。その道のりは約8キロにもおよぶ。
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社頭の儀は、行列が下鴨・上賀茂両社に到着した際、それぞれの社頭で行われる儀式で、勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納する。さらに平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納される。
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俗に御所車といわれ、勅使の乗る車で、藤の花などを軒に飾り、牛に引かせる。現在、勅使が乗ることはなく、行列の装飾である。牛童(うしわらわ)、車方、大工職などの車役が、替え牛とともに従う
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大傘の上に牡丹や杜若など季節の花(造花)を飾り付けたもの。
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後少し続きますので後日お楽しみください。

by tad64 | 2015-05-16 15:13 | 祭り | Comments(2)
Commented by chura-photo at 2015-05-18 09:17
今年のお祭りは晴天で良かったですね。
でも暑かったです^^;

僕は家から近い下鴨神社に行き、有名な「加茂みたらし団子屋」さんで休憩していました。
Commented by tad64 at 2015-05-18 14:37
★chura-photo さん
前日の雨も無事上がりお天気になって本当に良かったですよね。
でも下賀茂神社は凄い人じゃなかったですか、疲れられたでしょう。
そう言うときにちょこっと加茂みたらし団子を食べながら一休みは良いですね・・・
私は自転車で上賀茂神社近くの加茂街道の木陰で観覧しました!


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